才能はないが、何とか続けられている

熊代先生のエントリーを目にした。

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熊代先生ですら、自分には文才がないと自覚しているのだとしたら、自分は更に文才がない部類の人間だろう。

それでも、Wikipediaで文章の執筆に目覚めて、もう20年程度文章を書いていることになる。

正直、自分の書いた文章がガラクタだと言われたら、そうだろうなとは思うが、それでも何とか、日本語の文章を最低限書いてという感じである。

少しでも、自分が伝えたいことを伝えようと思い、それで、各地に手紙も書いている。

文章を書くのが生きがいであり、それを書くことが人生の最大の表現であると思われる。

しかし、自分にはマネタイズできるだけの才能がある訳ではない。

自分は文才がないことはもう十分理解しているので、人から文章の訂正の指摘を受けても、それでむかつくこともない。

アイドルファンも15年、コンカフェも7年続けている。

特段、才能があった訳ではない。自分より光り輝く人間も見てきたが、大体は消えていった。

15年もアイドルファンを続けている人間は総じてどっかしらおかしい。

自分もおかしい人間の一人だろうと思われる。

アイドルファンを15年続けてて、アイドルで続けるのは長期戦だし、狭き門だし、その上で、運も才能も左右される、しかし、将来の保証がある訳ではないというのも大体察してきた。今アイドルが翻弄されている、TIFなり、賞レースなりが、自分の身を助けてくれる訳ではない、それでも、その競争から降りることが許されない構造も見てきた。

コンカフェも、名門の店すらなくなっていって、その上で、コンカフェという世界の狭さや、人材の流動性の高さ、一度コンカフェで働くことに慣れると、そこから抜け出すのが難しいということなども身に染みて感じてきた。

ミニマリストも、才能がないのに、なんだかんだで10年断捨離を細々と続けている。

続けるのが才能なのか、と言われたらだいぶ難しい。

自分のやっていることが、特段すごいことだとは思わない。

その上で、自分のような卓越したものがなくても、それでも続けられるのは結構運がいいなとは思っている。

自分は、いつまでこういう人生を送れるのだろうか。